2007年、のちに学校給食事業の始まりの地となる、アフリカのマラウイに、ビーハイブという職業訓練センターを立ち上げました。これが私たちの活動の始まりとなったのです。ビーハイブは、チリモニという地域に建てられ、現地の人々に仕事を提供したり、教育をしたりすることを通して、現地の必要性に向き合い、その人々の共同体の意識を変革させ、発展させていくことが狙いでした。9つの仕事の種類があり、400人の従業員を抱えており、規模としては大きなものです。
そこで得られた利益は、現地の子どもたちの保育のために使われます。その地域密着の施設は、マザー・テレサ チルドレンセンターと言い、そこにいる子どもたちの成長のために使われています。センターでは、生後6ヶ月から6歳までの子どもたちがおり、一日の保育を行っています。その多くの子どもたちが孤児か、様々な事情を抱え、生きていくのが困難な子どもたちです。
2015年早期において、ビーハイブは経済的には自給自足が可能になっていました。しかし、責任者であるピーター・ンカタは、状況を慎重に見ていました。そんなときに彼は、保育園の子どもたちの多くが栄養失調で苦しんでいるという知らせを受け取りました。 それと同時期に、国連のWFP(国際連合世界食糧計画)の発表によると、マラウイでの食糧飢饉が過去10年の中で最悪の状態であるとの警告もありました。ピーターは、マラウイのたちに何が一番必要なのかについて、真剣に考えました。
ちょうどその頃、ピーターはサワコ・ネビンという、マラウイに住む日本人の方に会う機会を持ちました。サワコさんは、日本のNGOを長く関わりを持っており、そのNGOは、マラウイの北部で学校給食支援を始めた団体でした。しかし、その始めた年が、日本から米粉をマラウイに送った最後の年となり、支援はそれで止まってしまいました。 それでは、現地の子ども達はどうなるでしょうか。栄養失調の状態で、そのままにされてしまうのでしょうか。そして、私たちはその彼らのために何ができるでしょうか。ピーターを始めとして、多くの人々が、自分たちにとっては何が必要かを考えました。
飢餓の問題を取り上げることは、チャリティ活動だけに留まるのではなく、もっと深い問いを私たちに投げかけてくれます。それは、何が今本当にすべきことかを考えること、つまり正しい行動とは何のかという根本的な問いに繋がってくるものです。そこでせいぼは、飢餓に苦しむ全ての子どもたちへの共感から、その状況に応えていくことにしました。 こうして、せいぼの学校給食事業は、2016年2月11日に開始され、その年の終わりには14,000人以上もの子どもたちに給食を届けることができました。その子どもたちは、現地の40校の保育園、12校の小学校に通っている子ども達です。世界中の子どもたちを飢餓から救うという大きな目標の第一歩は、小さな一歩から始まり、今でも続いています。
2015年のピーターは、サワコ・ネビンとの出会いを通じて、彼女の卒業した高校の名前には、「せいぼ」という名前がついていることを知りました。その「せいぼ」は、日本語の中での印象では「母の子どもに対する愛」、「母の子ども達の教育に注ぐ愛」などを連想させます。こうした母の姿をもとにせいぼも、母が子どもに色々な形で愛情を注ぐように、学校給食を通してお腹が空いた子どもたちに愛を注いでいこうと決めました。こうした母の象徴的な姿を具体的に示してくれている映画のセリフがありますので、ご紹介します。
「わたしの母は、学校に行ったことがありません。そして母は私に『あなたは勉強を喜んでやらなきゃいけないのよ。そうすれば、私よりもずっと立派な人になれるから』と言っていました。今話している私は、あなたの母です。だから、あなたも喜んで勉強に励みなさい。そうすれば、私よりももっと立派な人になれるのよ。」 (2010年公開のThe First Graderという映画のジェーン・オブンチの言葉より)
・この映画の中では、ケニアにおける小学校制度の無料化がなされ、学校給食が行われている場面を扱ったものです。
学校で食事をとるということは、単にそこに来る子どもたちに食べ物を与えるということではありません。学校給食というものは、子ども達の授業での集中力を高め、知識、知能を高めてくれます。また、学校給食は、両親たちが彼らの子ども達をすすんで学校に送り出すきっかけにもなります。なぜなら両親たちは、子どもたちが学校に行けばご飯が食べられると知っているからです。貧困に苦しんでいる家族にとって、このような学校給食の姿は特別なものとなります。
「貧困は、単なる偶然の事故ではありません。奴隷制度やアパルトヘイトのように、それは人間の作り出したものなのです。だからこそ、それは人間の行動によって取り除くことができるはずなのです。」 (ネルソン・マンデラの言葉より)